知人にブログの更新を促されて、見たら1月で終わっていた。
この一年色々なことがあったが前々回で書いた父の域を未だ超えられないでいるのは明らかだ。
    しかし、似たことを経験する機会は得られた。
それは父の亡くなる原因ともなった癌に罹患した事である。
父は昭和53年5月の連休のある日、たまたま昼飯を一緒に摂る機会があったその時、飲み込めずに流しに吐いた。父も尊敬する元漕艇部部長の岩手医科大学外科の教授に相談した。8月に検査。11月、東京女子医大入院。そして年を越えた1月、父は逝った。
   不祥の息子の癌は、今年の8月に発見され9月11月と二度の手術、現在療養中ではあるが順調に回復している(と、思われる)。
   その入院期間中、東京医科歯科大学の上野先生、東京大塚で開業の岡野先生には、実に大変お世話になりました。又、この何十年振りかの患者としての経験、執刀医との社会復帰の約束、その思い全てを患者さんに還元する事を誓って 医師として父の域に少しでも近付きたいと思っ ています。
    父のエピソードは枚挙に暇はありませんが、一つだけ。自宅からあまり乗らないタクシーに乗った時、初老も過ぎた運転手さんが「先生に診て貰っていました。いい先生でしたね。有り難う御座いました。」と、頭を下げられました。一瞬何の事かわからず「お茶ですか?」と聞くと「いいえ、奥様でなく、大先生です。」と。父が亡くなって20年も経ってからの出来事でした。この人の胸の内には、親父がまだ生きていたんだと。親父の事が咄嗟に出てこなかった自分が恥ずかしかった事よりも、その思いに胸が熱くなって仕舞いました。
    僕が死んで新狭山歯科が無くなったら、思い出してもらえのは、何年位なんだろうな?と、考え込んで仕舞いました。